こんなん徒然草生えるわ

研究であったり、日記であったり、趣味であったり

アル中の小説を読んだ

ここで言うアル中とは、中島らものことである。彼は関西人の物書きで、重度のアル中で、酒に酔って転んだ際に頭を打ったのが致命傷になって死んだ。

今回読んだのは彼の綴った「今夜、すべてのバーで」という題の一冊である。おそらくは父の趣味で実家には中島らもの著作が多く揃えられていたのだが、この本は見かけたことがなかったので、気になって読んでみることにした。

この小説の主人公の小島容(いたる)は、アルコールによる黄疸が原因で入院することになる。入院した病室は相部屋になっていて、彼は他の患者たちと交流しながら自らの過去、つまり彼がどういう経緯でアル中となったかを振り返ることになる。

主人公はアルコール依存症についての医学的・精神病理学的な資料をつまみに酒を飲むという、さながら溺れた水の中で浮き輪を膨らませるような奇癖を持っており、作中では彼の得た知識が披露される他、アルコール依存症が形成される社会的背景にも切り込んだ考察を行っている。苦しむ主人公とそれを形成する社会的な背景を交互に提示するプロットはかのドキュメンタリー映画スーパーサイズ・ミー」を彷彿とさせるが、あの映画はジャンクフードに縁のない主人公をポテトフライ漬けにする様子をカメラマンの立場から観察するのに対して、こちらは既に酒浸りになった主人公が回復していく様子を本人の視点から眺めることになるのが対照的である。

また、この小説には多様なキャラクターが登場する。主人公のかつての悪友で親友でもあった天童寺不二雄や、主人公と同じくアルコールで体を壊した中年男の福来益三、重い病を患っており学校に通うことのできない少年の綾瀬保などがその代表だ。特に自分が気に入ったのは主人公の主治医である赤河である。作中では歯に布を着せぬ物言いで主人公の病態を説明し、彼が戻れない分岐点、すなわち肝硬変の一歩手前まで来ていることを説明する役割を果たしている。赤河医師の医療者としての豊富な経験やそれに根ざす諦観と憤懣の入り混じった複雑な人間性は医療漫画「K2」に登場した医師である「相馬有朋」を彷彿とさせ(奇しくも、この人物の専門は肝移植である)、以降は赤河医師が出るたびに相馬医師の顔が自動的に思い浮かぶようになってしまった。

この小説の結末は、主人公が親友の妹で、かつ自らを叱咤激励してくれた存在である天童寺さやかに対して愛を告白する場面で締めくくられる。これはおそらく作中で言及されていたアルコール依存症を克服するための指針である「飲んで得られる報酬よりも飲まないことによって与えられる、もっと大きな何か」を踏まえたものだろう。詰まる所この物語は主人公がいつ、どこでも依存症が再発しうる危うさを認識しつつ、そこから抜け出す手立てを掴むというハッピーエンドで終わるのである。

 

しかしながら、この本が出版された1994年から僅か10年後の2004年に、この物語の筆者である中島らもは、酒に酔って飲食店の階段から転げ落ち、その際に負った脳挫傷によってこの世を去った。

作家論と作品論を混同する暴挙を承知した上で月並みな考察を綴るのだが、彼はこの本の内容に対し関西人としてあまりにも綺麗で残酷な「オチ」を付けてしまったように思えてならない。

その一方で、このようなある意味芸術的とも言える人生の幕の引き方に対して、作中の天童寺よしみは「立ち去っていく側は格好はいいわよ。(中略)思い出になっちゃえば、もう傷つくことも、人から笑われるような失敗をすることもない。(中略)死者は卑怯なのよ」と、きっぱりと否定的な態度を示している。私もこのメッセージに強く共感する一人である。そして登場人物に対してそのようなメッセージを託す気概があるのであれば、せめてあと20年ぐらいは長生きして、Twitterやブログ等に酒と薬で耄碌して見るに絶えなくなった文章でもアップロードしながら醜態を晒すのが責任だろうと、そう考えるのである。

 

(画像は書影である。帯に『全ての酒飲みに捧ぐ』とあるが、こんな一番悪い見本を捧げられても困る気がする)

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量子的なスシの転送方法について

驚くべきことに、全てのスシは0-スシ(マグロ)と1-スシイカ)の量子力学的重ね合わせによって表現できることが明らかになった。マヨコーン=グンカンを90度回転させる行為に着想を得た物理学者がマグロのスシをひょいっと180度回転させたところ、なんとイカのスシになったのだ。更なる研究の結果、回転角を調節することで様々なスシが生み出されることが判明し、発端となったマグロとイカのスシはそれぞれ「0-スシ」「1-スシ」と呼ばれるようになった。この発見により、スシ職人の修行は、良いスシネタと良いシャリを用意し、それらを合体させる方法を習得するためのものから、0-スシを如何に絶妙な回転軸と角度で回転させるかを体得するためのものに変わっていった。

スシの製造工程に革新的な転換がもたらされた一方で、回転スシ店の治安はこの数十年で飛躍的に悪化していた。他人のスシの窃盗は当たり前、さらには卓上調味料の汚染を試みる痴れ者までもが現れる始末であった。さらに、最近ではレーン上のスシを舐めることで、スシを味わいつつこれを汚染することを至上の喜びとする「スシペロ団」なる集団も出現し、レーンに流したスシが無事に客の口に入る確率は極めて低くなっていた。

そんな中、ある企業が画期的な製品を発売した。製品の名前は「漁師テレポーテーションシステム」。このシステムは店と客で「スシの素」と呼ばれるものを共有しておけば、離れた場所にいる客が相手でも、レーンを介さずにスシの受け渡しを可能にできる優れものであった。漁師テレポーテーションシステム、通称「テレ漁師」の導入によりもはや回転スシ店にスシを運ぶためのレーンは必要なくなり、そのうち回転スシという名称はその製造工程を表すためのものになっていった。

これにより回転スシの平和は守られたかのように思えたが、残念ながらそうはならなかった。テレ漁師によるスシの改竄及び窃盗の困難化はスシペロ団を諦めさせるどころか、むしろ煽り立ててしまったのだ。スシペロ団はすぐにバイト先の回転スシ店から強奪してきたテレ漁師の解析に取り掛かった。

回転スシ店でのバイトでの経験から、テレ漁師を実現するための装置には2種類の形態があることは判明していた。片方は厨房に置かれていて、スシを入れる穴が二つあるのに対して、もう片方は客のテーブルに置かれていて、スシを入れる穴と出す穴が一つずつついている。穴の付き方で呼び分けるのは面倒なので、彼らは前者を「送信器」、後者を「受信器」と呼ぶ事にした。

まず、送信器の蓋を開けてみることにした。すると、中には奇妙な機械が入っていた。どうやら、二つのスシに複雑な回転を加えるための装置であるらしい。これがどういった働きをするかが気になったので、出前スシに入っていたマグロとイカのスシを入れてみたところ、下の表に示すような出力を得た。

入力A 入力B 出力
0 0 0
0 1 1
1 0 1
1 1 0

ちなみにこの表を見た基礎工学部出身のスシペロ団員Aが「これはスシ用のCNOTゲート、略してスシーNOTゲートや!」と叫んだが、つまらなかったので誰も相手にしなかった。

送信機には他にも機械が入っていた。とりわけ興味を惹いたのは寿司が最終的に入っていく場所に取り付けられたものであった。スシが入っていくということは見れば分かるのだが、厳重に密閉されているため内部にどのような機構が組み込まれているのか皆目見当がつかない。しかし、マカオでボーナスを丸々溶かした経験のあるスシペロ団員Bによれば、これはディーラーの握ったスシを入れてマグロが出るかイカが出るかを賭ける「スシ丁半」に使われる機械とそっくりだという。ディーラーの握り方から丁半を予想する彼の独自理論を聞き流しながら実際に出前スシをいくつか入力してみたところ、不思議なことに、0-スシを入力したときには必ず「半」が、1-スシを入力したときには必ず「丁」が出力される事が分かった。

彼らは次に、受信器の蓋を開けた。送信器に比べるとこちらは単純なもので、一つのスシを2種類の方法でひっくり返すための機械が入っているだけであった。しかし、この機械に信号線が一本ずつ繋がっていることを工学部出身のスシペロ団員Cは見逃さなかった。線の繋がっている先を調べた結果、この装置は受信器との間で何かしらの通信を行っているらしいというところまでは判明した。そして装置を繋げて稼働させてみると、その通信内容は驚くほど簡単に解明された。なんと、送信器に組み込まれていたスシ丁半の結果がそのまま受信器に送信されていたのである。そして、受信器はその内容を受けてスシをひっくり返すかどうかを決定している。

テレ漁師の全容を見て、スシペロ団がまず注目したのは受信器と送信器の通信を行う部分である。この通信内容を改ざんすれば、客側の受信器は送信器に入力されたものとは違うスシを復元するだろう。本来の目的とは多少異なるが、客の受け取るスシに介入ができるということには間違いない。すぐに計画書がまとめられ、スシペロ団長の元へと届けられた。

しかし、団長はこの計画を即刻却下した。これはスシペロ団の至上目的を考えるとしごく当然な結果であった。彼らの目的は客に届くハマチをサーモンに変えることではなく、スシをペロッとすることであったのだから。

次に彼らが注目したのはスシの素の製造工程である。世界中の回転スシ店で使用されているスシの素は、各地の委託された工場で生産されたものらしい。いくらスシの素を大量生産する必要があったとはいえ、関わる人数が増えれば増えるほどセキュリティーホールも増えるのが道理である。このスシの素をペロッとしてしまえば、これはもうスシペロと言えるのではないかと考えた彼らは、すぐに計画書を作成してこれを団長の元へと届けた。

しかし、団長はまたしても首を横に振った。スシペロ団の目的はスシをペロッとするだけではなく、その滋味を味わい、さらに舐めた後のスシを見ず知らずの客に食べさせることであったからである。握られる前のスシの素をペロッとしたところで味などするはずもない。

スシペロ団員たちはテレ漁師の流れ図を凝視しながら必死で考えた。そして一日後、天啓がもたらされることになる。

スシペロ団長は修正された計画書を読むと、ゆっくりと、それでいて力強く頷いた。早速、これを実現するための装置開発や裏工作が始まった。

半年後、スシペロ団はある装置の前に集結していた。「スシペロサンダー」と名付けられたその装置の起動スイッチを押すと、そこからは続々とスシが出てきた。どれも回転スシ職人によって握られた珠玉の逸品だ。スシペロ団長がそれらを片っ端からペロッと舐めて、装置に戻していくと、その様子を見ていた団員からはおおと歓声が上がった。装置に戻されたスシは、世界中の何処かのテレ漁師を経由して客の元へ届けられる事になっている。

この手品の種は、スシペロ団によって作成された「偽のスシの素」である。このスシの素は四貫で一セットになっており、そのうち一つを職人に、もう一つを客に、そして残りの二つをスシペロ団が保持する。職人が作成したスシの情報は客ではなくスシペロ団に送信され、彼らはそれを思うままに舐め回す。そしてその後で、スシペロ団から客にそれが送信される。客は介入が行われたことにも気づかず、ペロッとされたスシを復元することになる。完璧な作戦であった。

 

計画が初めて実行された日、ある回転スシ店は阿鼻叫喚の騒ぎを見せ、明くる日、被害に遭った回転スシチェーンの時価総額は1.2兆円ほど下落したそうな。

 

スシの素の製造工程に何かしらの介入が行われていることに気づいたメーカーは慌てて工場の立ち入り検査や品質検査などの対策を行ったが、既に100を超える数のスシの素製造工場に対してスシペロ団の手が及んでいることもあり、焼け石に水程の効果しかなかった。

 

彼らがこのスシペロサンダー攻撃に対する画期的な防御策を見つけるのは随分と後になってからなのだが、それはまたの機会に。

 

あとがき

量子(漁師)テレポーテーションを利用した量子状態(スシ)の転送と、想定される攻撃方法についての話です。当然ですが、スシは寿司とは違ったものであり、現実世界の寿司をひっくり返したところで別の寿司にはならない(寿司ではない何かにはなるかもしれない)ので、真似はしないように。

そういえば、量子力学量子コンピューターを主役に置いたSFってあまりないですよね。数年前に青春ブタ野郎シリーズをアニメで見ましたが、どうしても量子力学を怪異に見立てた物語シリーズという印象から脱しきれず、あれが量子力学を舞台装置に選ぶ限界なのかと落胆する気持ちもありました。

量子力学や量子情報を取り扱ったSF作品の構造が似通いがちな現状は、「シュレディンガーの猫」が原因なんじゃないかなと僕は思います。あの思考実験ばかりがやたら有名になったせいで、「量子力学を題材にするならばあの状況を踏襲したものでなければならない」という先入観が付きすぎてしまった結果、非専門家である創作者にとってあの分野が取っ付きにくく、魅力の少ないものになっているのではないか、と。

ということで今回は箱の中の猫から離れて、「スシ」を量子ビットに見立てた話を書いてみました。文章もなるべく軽妙を心がけた上で、量子力学の基本ルールやサポート範囲を逸脱しないように気を付けました。とはいえ物書きについては素人なので、「俺ならもっと面白く書ける」ということであればどんどんリメイクしてくれると嬉しいです。

僕は、いつか来るであろう量子SFの全盛期を夢見つつ、しばらくは今後もこういうテーマで小説を自給自足していきたいと思っています。

ではまた。

昼下りのコインランドリー

コインランドリーの

ベンチに座る

初夏の午後

 

などと風流じみてみたものの、実際のところそんなにいいものではない。僕のよく使うコインランドリーはかなり旧式の造りをしていて、ドアは開けっ放し、クーラーなどの空調はなし、おまけに背後の乾燥機が熱気を垂れ流しているという有様だった。

ベッドのシーツと枕カバーを洗うため、僕はコインランドリーまでやってきた。

洗濯に30分、乾燥に30分で、合計1時間かかることは知っていたので、時間の潰し方について思案してみる。もし丸々1時間暇になるのであれば、川辺に行ってビールを飲んだりもできるが、これを30分ごとに区切られるとそうもいかない。普段であればこの隙間時間を有効活用して近所のスーパーに買い物に行く所だが、その日は買い物の予定もなかったため、鞄に入れていた本を読むことにした。

 

 

何人かの利用者が、洗濯機から洗濯物を取り出して乾燥機に入れたり、乾燥機から洗濯物を取り出していった。誰も言葉を交わさず、音も立てず、粛々と洗濯物を回収していく様子を見て、何だか彼等が幽霊であるような気分がした。

幽霊と言えば、コインランドリーを使う人間が幽霊だとすれば、その洗濯物も幽霊なのだろうか。

この場合、「人間の幽霊→洗濯物の幽霊」という明らかな従属関係が認められるが、逆に回収されなかった洗濯物が成仏しきれずに持ち主であるところの人間の幽霊を生み出している可能性、つまり「洗濯物の幽霊→人間の幽霊」という図式を生み出している場合も考えられないではない。いつまで経っても引き取り手が来ない洗濯物を見ながらそんな空想に耽るのも、やはり暑さが原因だろう。

それにしても暑い。本を持つ手がじんわりと汗ばんできた。部屋に帰ったらクーラーを力いっぱい作動させて、冷えたビールでも飲むことにしようと、冷蔵庫の幽霊であるところの僕はそう思うのだった。

ドクターペッパーと僕

先日、駅前のファストフード店で昼食を食べた帰りに、ある自販機を見つけた。それはなんと、ドクターペッパー入りの自販機だった。僕はその物珍しさから、これに近付いてまじまじと眺めてしまった。

というのも、関西でドクターペッパーの入った自販機を見つけることはそうそうないのである。唯一の例外が有馬温泉の片隅に置かれていた小さな自販機だが、後から調べてみるとあれは世界中の珍しい飲み物を集めた自販機だと判明した(https://1chnet.com/?p=520)。

この事例だけをとっても、関西ではあの愛すべき清涼飲料水はライフガードにも劣るキワモノ扱いをされているということが想像してもらえたと思う。

せっかく売られているのだから、どれ、一本、と考えて自販機に硬貨を入れたのだが、残念なことにドクターペッパーはすでに売り切れていた。

改めて自販機を見直してみると、売り切れていたのがドクターペッパーだけであったことに気付く。このことから、この近所には僕以外にもドクターペッパーの偏執的な愛飲家がいるのかとも思ったが、冷静に考えればそれはありえない。

そのようなドクターペッパー狂いであれば、わざわざ自販機で買うような効率の悪いことはせず、24缶入のダンボールを家に常備しているはずだからである。

そうなると残る可能性は一つ、単純に、これを購入する人数が多いというものである。つまり、この地域の人達は夏の日差しに喉を涸らして自販機の前に立つとき、その指をコカ・コーラではなくドクターペッパーに対して、自然に伸ばすということでもある。

これは僕にちょっとした感動を与えた。なぜなら、僕がこれまで住んでいた世界では、ドクターペッパーはゲテモノで、キワモノで、杏仁豆腐だったからである。関西と関東の違いなんて探せばいくらでも見つけられるものだが、これはその中でも極めて印象的な違いと言えよう。

 

昨日、その自販機を見てみると、長らく点灯していた売切表示が消灯していた。しかし、僕はドクターペッパーを買わなかった。ここで買わずとも、家に帰ればドクペ入り段ボールがあるというのが主な理由だが、この近所の人達に悪いと思ったという所もあるに違いない。

道端にパンツが落ちていた

これは、新人研修と満員電車でうなだれるほど疲れた僕が、うなだれたついでに最寄駅の前の路上で見つけた遺失物についての話である。

ブツの詳細について

道のど真ん中に、とは言わないものの、中央を少し外れたところに、そのブツは鎮座していた。 それは黒地にピンクのアクセントが入った、刺激的なデザインのブツだった。 ブツは折り畳まれているわけではなく、無造作に脱ぎ散らかしたような形で地面に放置されていた。 道を行き交う人は、ギョッとしたようにブツを見るが、すぐに向き直って、まるでそこに何も落ちていないことを自分に信じ込ませるように通り過ぎている。 本当に白々しいことであるが、そうする理由は十分に理解できる。

ブツの対処について

道端に無造作に放り出されたブツを見て、僕はいかにしてこのような状況が生み出されたのか、しばし考え込んでしまった。 下着を外に落とすというのは尋常なことではないが、それでもこのような結果が生じた原因として、幾通りかの可能性が考えられる。 一つ目の可能性は、荷物から落ちてしまったというものである。 旅行鞄などに詰めていた下着が、締めの甘いチャックを通り抜けてまろび出てしまうというのは珍しいことではない。 小学校の自然学校などで持ち主不明の下着の落とし物が発生するのは、大抵これが原因である。 二つ目の可能性は、どこかの下着泥棒が戦利品を落としたという可能性である。 夜陰に乗じて狼藉を働いた何者かが、追手の目を眩ますために戦利品のいくつかを道端にばら撒いたと考えれば無理はない。 色の明るいものはすぐに回収されたものの、このブツはその色故に見過ごされたのだろう。 最後の可能性は、持ち主が自分で脱いで放り出したというものである。 人間は酔っ払うと、何をしでかすかわからない生き物である。 他人の靴を間違えて履いて帰ってくるなど可愛いもので、ひどいものだと路上で放尿したり、知らない家で眠り込んでしまうということもあるらしい。 そんな酒の失敗の中でもそこそこの失敗として、この下着の持ち主は駅前で突如としてブツを脱ぎ、気前良く放り出してしまったのだと考えれば筋は通る。

さて、落とし物を見つけた場合、発見者が取るべき最も模範的な行動は、それを交番に届けることである。 しかし、それは落とし物がハンカチや帽子など当たり障りのない物品である場合に限る*1。 今回の場合、その落とし物というのは刺激的な意匠の女性用下着である。 つまりこれは、手に持っているだけで不審な目で見られ、懐に隠そうものなら御用となる危険物なのだ。 何の関係もない部外者がこれを場所も知らない交番まで持っていくのは非常に危険な行為である。 それであれば、元の持ち主であればこれを拾っても咎められはしないのか。 答えは否である。 本来の持ち主もまた、僕やその他大勢と同じ立場に立たされている。 その持ち主にとっても、恥ずかしそうに仕舞い込んだそれが自分のものであると証明する手段はないのだ。

結局僕はそのブツに背を向け、家路についた。 これからもあれは大多数の人間の平穏のために、見えない振りをされ続けるだろう。 救いのない話ではあるが、これもまた現実の一面である。

ブツのその後について

その後、ブツはその後2日間に渡って駅の利用客の白々しい無関心に晒され、3日目の夕方にようやく姿を消した。 おおかた、駅の清掃員か何かに処理されたのだろう。 ある何者かに対して個人が手を差し伸べることが難しい時、それを助けるのは意志の介在しないシステムであるということを実感させられる事件であった。

*1:ちなみに落ちている財布を拾って届けることはお勧めしない。大抵は不愉快な思いをすることになるだろう

ある人間と発作

例えば、十皿しか流れてこない回転寿司があるとする。手持ちのお金ではひと皿食べるのが精一杯だとして、あなたは何皿目で手を伸ばすだろうか。一皿目で好みのネタが来たからさっさと取ってしまう人もいれば、ギリギリまで粘った末に十皿目で妥協する人だっているだろう。この問題は、不確定な状況の中で自己の利益を最大化するための選択が如何に難しいかを確認させてくれる。

しかしその一方で、これは非常に贅沢な話だと思う。場合によっては「ここは本当に回転寿司なのか?」と首を傾げつつ何も流れてこないレーンを眺め続ける羽目になるのだから。

これは単なる例え話である。

本題に入ろう。

あるところに、定期的な発作に襲われる人がいた。

その発作に襲われると彼は、レーンの奥底を覗き込み、何か好きな寿司が流れてこないか確かめてしまうのである。

本来であれば、このような行動や考えに至ること自体がおかしい。なぜなら、彼は空腹のあまり既に食欲を失いかけており、そもそも自分が寿司を食べるためにその座席に座っていたかすら思い出せないのだ。しかし相手は発作なので、理屈などお構いなしなのである。

時間が経つにつれて寿司が流れてくる割合が少なくなるという話を彼の隣の席の客がしている。反対側の席では、いい寿司はすでにあらかた取られてしまった後だと愚痴をこぼしている。

いい加減席を立ってなにか別の食事を探してもいい頃合いだが、発作がある限り席を立つのは難しいだろう。

寿司は、今日も流れてこない。

合コンはじめました

苦労話風マウントとなりうることを先に断っておきます、ごめんなさい。

経緯

同じ大学の後輩でもあるフォロワーが合コンの参加者を募っていたので、半ば冗談で参加を申し入れたところ、男友達を3人ほど誘って参加することになりました。

参加者の半分を用意したということで、つまりは副主催者のような立場であると自負したのはいいものの、ここで僕の耳に幻聴が聞こえてきました。

「今日はハズレだったなぁ」

「理系男子といっても限度がありますよ」

「これだからイコール年齢は」

あれ、急に胃が痛くなってきました。自分の中に責任という重い2文字が発生した瞬間です。

合コンに向けて

居酒屋での飲み会ってなぜ楽しいかというと、片付けをしなくていいからなんですね、ついでに言えば準備も面倒です。人についていって飲み食いしたあとにお金だけ払って帰りたいのが僕です。

そういうわけで、店選びや女の子側の日程調整をおまかせして、こっちは男性陣の都合のいい日程を3つほど聞き出すことにしました。こういう時に素早く回答してくれる友達には頭が下がるばかりです。

報連相も仕事として溜めたら絶対やらない気がするので決まり次第幹事の子に連絡を投げていきます。投げたらあとは彼女がいい感じに予定を詰めてくれます。いやぁすごい人だなぁ。

当日

とりあえず酒を入れます。ただでさえ責任があって色々と痛むというのに、緊張のせいで人の顔を見ずに胸元あたりで視線を泳がせるひでぇ悪癖を披露してはもう立ち直れません、ジョッキ一杯ほどで社交性を付与できるのであれば安いものでしょう。

さていい感じに酔いが回ってきた辺りで集合時間です、こちらのうち一人が遅刻連絡をよこしたことにヒリつくなどしていると、どこかで見た覚えのある人がこちらの様子を伺っているのに気が付きました。幹事のフォロワーさんですね。

手早く挨拶を済ませ、幹事の案内のもとホイホイと店内に吸い込まれゆく参加者たち。

店内のテーブルには仕切りがあり、今年の流行語大賞はソーシャルディスタンスだろなぁなどと納得しながら男女向かい合う感じで席につきました。

ここからはお決まりの流れでしょう。自己紹介、大学の話、バイトの話、酒の話。大学生という多様性の権化のような存在にとって、互いに了解を得られる話題はそう多くありません。異文化交流とはそういうものです。順調な雰囲気に僕もお酒が進みます。

しかし順風満帆だけが人生ではありません。二次会は近辺のバーが全滅していたためにカラオケです。途中のコンビニでワンカップ菊水を買ってきたのはどこの阿呆でしょうか。とりあえず菊水を隣の人に押し付けつつ場を見渡すと、スマホを触っている参加者がちらほら、ああ胃が痛い。

終電の関係でやむなく先に帰りましたが、彼らは果たして合コンにおける男性陣の役割を果たしてくれたのか、正直心配でした。

帰路

帰りの電車で、幹事の子からメッセージが届きました。おそるおそるメッセージアプリを開くと、おおよそこのようなことが書いてありました。

「今日みんな楽しかったって言ってました!
もしよろしければまたやりましょう~~~~~~🥺」

本当かなぁという不安を少なからず感じつつも、僕はその日初めてとなる安堵のため息をついたのでした。

総括

人を好きになるには時間がかかり、そのための過程のいくつかを省略するための場が合コンであると僕は考えていたのですが、実際やってみるとえらく面倒で胃にも優しくないことが分かりました。

次回はぜひ他の人が誘ってくれた合コンに乗っかって行きたいと思います。