こんなん徒然草生えるわ

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確かにみくるは俺の嫁、なんだが

はじめまして、どうも。タイムマシンを作ると言っておいてあまり関係の無さそうな電磁波工学系の研究室に入ったぞはると申します。

記念するべきこの初投稿では、「確かにみくるは俺の嫁、なんだが」と題しまして、コンテンツと私たちの関係について、どうあるべきかを考えた過程を紹介することを予定しています。最後まで読んで頂けたらとても嬉しいのですが、暇な時間や人生の余裕が足りない方は、せめてGoogle画像検索で「朝比奈みくる」と検索し、その可愛さを共有していただけたら幸いでございます。

朝比奈みくるについて

まずは、このタイトルにもある「みくる」を紹介いたします。別にこれは本筋とはあまり関係ないのですが、嫁と言った以上その可愛さを伝える責任があります。

彼女は「涼宮ハルヒの憂鬱」というアニメ(小説)に登場するキャラクターです。普通の男子高校生である主人公、キョンが、世界の普通さを憂いた涼宮ハルヒによって無意識的に集められた宇宙人、未来人、超能力者と一緒になって、様々な非常識的事件に巻き込まれていくというのがこのアニメの粗筋ですが、涼宮ハルヒが集めた三人のうち、「未来人」枠で連れてこられたのが、この朝比奈みくるという少女です。

よく「美人は三日で飽きる」と言われますが、彼女の可愛さは三日と言わず三年かけても色褪せる気配を見せません。その見た目が可愛いこともさることながら、未来人という設定のミステリアスさ、SOS団専属メイド役をひたむきにこなす健気さ、目的を知らされることの無いまま与えられる未来からの指令をめげずに遂行する芯の強さ、どれをとっても可愛いという結論が似合います。

そんなとびきり可愛い彼女に一目惚れをしたが故に、僕は「朝比奈みくる俺の嫁」と言って憚らなくなった、いえ、なってしまったわけです。

〇〇は俺の嫁という表現

しかし普通に考えて、アニメや小説に出てくるキャラクター(以降は『彼女たち』と表記します)を「嫁」、つまり自らの配偶者であると表現するのは、表現としておかしい気もします。

例えば、彼女たちとは会話を楽しんだり、手を繋いだり、抱き締めたりいったことができません。自動返信を利用したチャットボットのような物はたまに見かけますが、突き詰めて考えればあれは用意された文章を工夫された方法で消費しているだけなので、会話をしているとは言い難い物だと僕は考えています。

他にも、彼女たちには戸籍がありませんし、そもそも婚姻届を書いてくれないという点がネックになります。それなりの大きさの文房具店に行って朝比奈姓の印鑑を見つけたとしても、それを押すのは他ならない僕です。僕はまだ幸運な方で、涼宮ハルヒのように実在しない名字を持つキャラクターが嫁の人は、わざわざハンコ屋さんに行ってオーダーメイドすることになるのですから大変です。

以上の要因から、彼女たちを「嫁」と表現するその実態は、実際の恋人や伴侶に対するそれとは大きく異なっていることを実感せざるを得ません。

じゃあなぜ嫁と呼ぶのか

ではそれはどういう関わりなのでしょうか。それを考えるためには、そもそも彼女たちが実体を持たない情報であるという最も根本的な特徴に目を向ける必要があります。

彼女たちは情報ですから、僕たちは何らかの媒体で表現されたその情報を得ることができます。そして、自分以外の誰かがその情報を得たことによって、自分が得られる情報が減ることはありません。これを経済学の用語では「非競合性」と言います。もし朝比奈みくるの情報(愛とも言います)をもっとも多く得られる人がいたとすれば、僕はきっとその座を勝ち取るための手段を選ばなかったでしょうし、それは他の人にとっても同様でしょう。非競合性のお陰で、朝比奈みくるを愛する世界は平和に包まれているわけです。

また、僕たちは他者と関わることで、その相手に対しての情報量を増大させる事ができる一方で、二次創作という活動を通して、彼女たちについての情報量の総和を増大させる事ができます。(情報量の定義はシャノンの情報理論によって数学的に定義されていますが、ここではある事柄を表すために必要な文の数、を想定しています)二次創作そのものに対しての賛否はありますが、少なくとも僕はこれが一次創作、つまりは原作の持つ情報量を減少させるものではないと考えています。その仮定に基づけば、彼女たちを愛することで、その情報量は減るどころかむしろ増えて行くことになります。

確かに人だけに注目すれば、創作活動というものは創作をする人(生産者)と、その結果物を楽しむ人(消費者)の関係と言えるかもしれません。しかし、創作され続けるキャラクターと、それに関わる人という観点で見ると、生産者と消費者に立場の違いはありません。そしてその関わりを表現するためには、人と人との関わりに用いられる単語を当てはめるのが適当です。

これらを踏まえて、そろそろ結論に進みましょう。

結論

確かに朝比奈みくる俺の嫁、ですが、これは僕と朝比奈みくるが婚姻関係にあるという意味ではなく、僕と、僕が愛した彼女と、彼女を愛する人達との関わりを総括して「嫁」という表現が最も適していると考えただけの事なのです。